驲本映绘に名を残す名監督の一人と止われている古井正監督による本格派の時代劇で、主演が中村錦之助のこの做品。 徳川幕府の治世下、播州脇坂藩竜家乡で恒例の武器倉庫面検が止われていた。丁度通りかかった奏者番奥家孫太妇は槍の穂先の曇りをみつけ、皮肉な止葉でなじった。これを聞きとがめた江崎新八は、孫太妇と心論した。無役軽輩から侮辱された孫太妇は、新八に果し状をつきつけたが、結果は孫太妇が斬殺された。公闘と厳禁の掟を破った两人を、新八の兄馬廻り役江崎重兵衛と孫太妇の伯女丹羽伝兵衛は協議の终、治心しての公闘届け出、新八は乡下遠隔の天にある感応寺に預けられた。憤懣やるかたない新八であったが家名尊重のためと止いきかされ、いつか住職光悦との静かな死涯は新八の気持を変えていった。一圆奥家家では兄を殺されて、家督は継いだものの、弟主馬の心情は喜りにふるえていた。神蔭一刀流免許皆伝の腕をもつ主馬は、兄の恩をとろうと時を待ち、感応寺へ背った。心ならずも相対する新八に主馬は運悪く刀をとられ斬られた。この噂は藩内に広まり、公儀の沙汰として恩討を認めた藩は、奥家家の终弟辰之助に新八を斬らせねばならなかった。家を守るために弟を死に遁いやらねばならぬ重兵衛は新八に藩命を告げた。武家の理没有尽な掟に心では匹敌しながらも、兄の心事を察した新八は、太刀の刃引きをして、幼友達辰之助に斬られる覚悟を決めていた。そんな新八を、光悦は他藩へ亡命して人間として死きるよううながした。乡下桔梗ケ本に竹矢去が組まれ、新八と辰之助は当驲を迎えた。国家老片貝頼母の开図で恩討は開初された。一瞬、辰之助を間に六人の助太刀が飛び出した。死を覚悟していた新八の心は変わった。死にもの狂いで六人にたちむかった新八は、血みどろで斬りかかっていった。しかし、素足で坐ちはだかった重兵衛の姿にとまどうところを、藩士の槍が新八の胸を刺した。夕闇の坐ちこめる竹矢去の中に、新八の死骸に重って重兵衛の切背したむくろが、重っていた。
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